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意訳者としての意見は、文中に入れられているのですか?

その他  
  • 碧巌の散策 第八十七回の歩記(あるき)である・・

●どうして、、難解な碧巌録の意訳をされるのですか?

 

生涯に、無門関と碧巌録、それに、出来れば臨済禄の、意訳・・自分なりの解釈を現代語で表現しておきたい・・との欲求に、馬翁になって駆られています。

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その文意や解釈は・・読み返し見返す内に、何度も変わってきましたし、難しい字の意味を調べている内に、突然、気分が晴れやかになって・・視野がグンと広がる・・そんな納得した則や公案に出会える、ことどもが動機になっているのでしょう。

 

週に一回は、この奉魯愚に掲載できようかとやってきましたが、無門関は、どうにか第二稿の手入れができるか・・どうかの段階。この碧巌録は、まだ初稿,八十七則のありさま。臨済禄に至っては、古書を漁っての状態でサッパリ目鼻がつきません。

まだまだ奉魯愚での加筆修正が続きましょう。

それに出版界、本(活字離れ)の衰退は、はなはだしく今はPCに入力しておく方が、広く、読書のチャンスがあるのでないか・・と思っています。

 「禅」は、日々の生活に実に奥深い味わいのあるものです。

鮎のようにピチピチと、そして寂寥を覚えつつ、清流を泳ぎ回っているような境地・・なんとも言えません。

私は、必ず、お気付きになるか・・どうかはともかく、こうした禅境(地)=禅による生活の一端は、どの則の意訳にも記載するようにしています。

(禅語録では、どの祖師がたの語録でも、必ず、みずからの悟境を陳べる偈なり頌なりがあります。が、次第に、密室=師弟二人キリ・・の参禅で意見することになってしまい、則に自己の見解(けんげ)を併記する常態はなくなりました。それだけに、悟境の開けた露堂々の師家がいなくなりました。

それに、欧米に広がった「禅」の関心の高まりに乗じて、なにか、禅を隠密禅の風習を良しとして、あたかも神秘化するような風潮があるようです。

ですから、要請されずとも、恥ずかしながら、私の見解を意訳文中に出来るだけ入れるようにしています。

禅の「見解」は、問題に即して理路整然とした解答が「正解」となる訳ではありません。

むしろ、一般の常識が覆って、矛盾の悟境が体験される時こそ大事了畢(りょうひつ)です。時には、常識では理解しがたい・・何を言っているのかわからない・・意味不明で片づけられる場合があります。繰り返します。

次の八十七則の頌(雪竇)に、門を閉じて車を造るな・・とあります。私は、私の意訳、そのコダワリへの警告と受け止めています。

 

碧巌録 第八十七則 雲門薬病相冶 (やくびょうそうじ)

【垂示】圓悟が垂示した。

禅者は、何を言い、何を行っても、すべて禅にかなう=「禅による生活」をしている・・のだから、ある時は、達磨の面壁・・のごとき気高いこともあるし、ある時は、繁華街のうるさい処で、商売繁盛を願って、赤裸々に「大安売り」を声高に宣伝して、振舞っていることもある。

また、時には、インド、毘沙門天(びしゃもんてん)の息子、無双(むそう)の力自慢、那吒(なた)太子のように、暴れて手が付けられないこともある。

また、ある時には、日面(にちめん)、月面佛(げつめんぶつ・・日夜、絶え間なく)となって、臨機応変(りんきおうへん)、泥まみれで衆生(しゅじょう)済度(さいど)していることもある。

さらには、忽然(こつぜん)として、廓然無聖(かくねん むしょう)の向上心を現わし、釈尊や、道を究めた禅者達も窺い知れない、三千里も遠離(おんり)した所から超人的活動をなす場合もある。

サア・ここに、そのような禅者に共鳴できる者がいるか、どうか。試みに挙す看よ。

  *垂示に云く、明眼(めいがん)の漢は窠(か)臼(きゅう)を没す。

   ある時は孤(こ)峰(ほう)頂上(ちょうじょう)に草(くさ)漫漫(まんまん)

   ある時は閙裏頭(どうしりとう)に赤灑灑(しゃくしゃしゃ)

   忽(たちま)ちもし忿怒(ふんど)せば、

   那吒(なた)のごとく三頭六臂(さんとうろっぴ)を現ぜん。

   忽ちもし日面(にちめん)月面(がちめん)ならば、

   普攝(ふしょう)の慈光(じこう)を放ち、

   一塵(いちじん)において一切身(いっさいしん)を現じ、

   随類(ずいるい)の人となって、和泥合水(わでいごうすい)せん。

   忽ちもし向上の竅(きょう)を撥着(はつちゃく)せば、

   佛眼(ぶつげん)もまた覷不着(そふちゃく)ならん。

   設使(たとい)、千出頭(せんせい しゅっとう)し来たるも、

   また倒退(とうたい)三千里なるべし。

   また同得同證(どうとくどうしょう)の者ありや。試みに挙す看よ。

 

【本則】ある日、雲門文偃が、座下の求道者に・・

「皆は、常識とか既定の約束とかに囚われて、迎合することに意義があると思い込んでいる。

例えば、薬は病気を治すと決めているが、実は
2017-05-30
、病気は薬を治すのである。

宇宙の森羅万象(しんらばんしょう)は、すべてこれ、薬そのもの。病は、この薬の悪用に他ならない。

病気とは、人が薬を悪用する仕業(しわざ)なのだ。お前たちは今、宇宙の妙用に参画して、薬の役になっているか・・それとも、病の役を努めているか・・どっちなのだ。答えて見よ」と迫った。

  *擧す。雲門、示衆して云く・・

  「薬病相治(やくびょうそうち)。盡大地(じんだいち)これ薬。

   那箇(なこ)かこれ自己なるぞ」  

 

頌】雲門は、宇宙すべての作用は、これ薬であると喝破(かっぱ)した(ソレ・・見抜いたぞ)。

これを、利得第一主義で生きている古今東西の欲深(よくふか猿=人間)は、自己中心的に考えて、軽率な結論を出してしまう。

(オイオイ・・そりゃ大変な間違い。大間違いだぞ)

この間違いのもとは、常識とやらの世間体に拘泥(こうでい)するからだ。

昔、中国の道幅は、車の轍(わだち)、両輪の幅まで杓子定規(しゃくしじょうぎ)に策定されていたという。

今どきの世間でいえば、どいつも規格(マニュアル化)されてしまった人間と、氾濫するスマホ文化に毒された社会だな。

これを「禅者」に当てはめると「禅による生活」の大道は、寥廓(寥々廓々りょうりょうかくかく)実に広大無辺(こうだいむへん)なものとなる。

道幅も、規制や規格サイズもあつたものではない。古今の人々は、自分の鼻は、天まで高いと思いこんでいるが、雲門に自慢の鼻をひねられて半泣き顔になったのは・・どこのどいつだ。

  *盡大地(じんだいち)はこれ薬なるに、

   古今(ここん)、何としてか、はなはだ錯(あや)まれるや。

   門を閉じて車を造(つく)らざれ。

   通途(つうと)は自(おの)ずから寥廓(りょうかく)なればなり。

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   錯(あや)まれり。錯まれり。

   鼻孔(びくう)は遼天(りょうてん)なるも、また穿却(せんきゃく)せられん。

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